観光産業で意見交換
テーマ:常滑市情報
2010/03/10 14:21

県内各地でさまざまな町おこしに取り組んでいるボランティアら約300人が参加して「観光交流サミット」が9日、常滑市の中部国際空港で開かれ、観光産業の振興について意見交換した。
県などの主催。蒲郡市で昨年開催したのに次いで2回目。県の活力を海から眺めようと午前中、参加者らは中部空港から船に乗って伊勢湾沿いに新日鉄名古屋製鉄所、名古屋港などを見学した。午後からは、常滑、豊川市、南知多町豊浜など各地で町おこしに取り組む団体が事例報告を行った。
常滑市からは、陶芸家の吉田信義さんが、1000万体以上を生産している縁起物の招き猫と、観光産業の取り組みを紹介。観光地の「やきもの散歩道」に招き猫神社をおまつりして招き猫グッズを置いたところ、売れ行きが3~4倍に伸び、「観光にはストーリー性が大切」などと指摘した。
豊川市からは「商売繁盛」の門前町の取り組みとして、和食店女将(おかみ)の藤井智香子さんが豊川稲荷と町おこしの取り組みを報告した。
10日も南知多町や半田市の「カブトビール」、常滑市の「やきもの散歩道」などを回り、地域の観光について意見交換する。
明治教育タイムカプセル
テーマ:常滑市情報
2010/03/10 14:18
●資料保存、予算に悩み 【常滑の「鈴渓義塾」】
~教科書500冊・英作文の答案・唱歌の楽譜~

明治時代、知多半島の漁村(常滑市小鈴谷(こすがや)に、トヨタ自動車の「中興の祖」や戦艦大和の艦長ら、優れた人材を多数育てた学校「鈴渓(れいけい)義塾」があった。当時の教科書約500冊が、同市大谷の市立小鈴谷小学校に残されているが、冷暖房設備に充てる予算もなく、郷土史の専門家から保存方法の改善を求める声が出ている。
鈴渓義塾は1888(明治21)年、旧小鈴谷村で代々続いた造り酒屋、盛田家の11代目当主久左エ門(きゅうざえもん)が開いた私塾。4年後に公立の鈴渓高等小学校となったが、地元では引き続き「鈴渓義塾」と呼ばれた。
現在の小学5年から中学2年の生徒を対象に、英語や数学、簿記などの教科を教えた。授業のレベルは現在の高校並み。体操の授業で野球をするなど、進取に富んだ教育内容を採り入れていた。
革新的な醸造業を営んでいた久左エ門は当時、慶応義塾の創設者福沢諭吉とも親交があった。鈴渓義塾の塾長には、師範学校で理科などを学んだ溝口幹(1852~1933)を招いた。身分に関係なく、貧しい子には学費を援助し、寄宿させたことから評判が高まり、知多半島全体から生徒が集まった。
後の鈴渓高等小時代を含めると、「標準語の父」と呼ばれた元駒沢大教授の石黒魯平(1885~1956)、戦後にトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の社長になって同社を再建した石田退三(1888~1979)、戦艦大和の4代目艦長を務めた海軍将校の森下信衛(1895~1960)、旧文部省(現・文部科学省)事務次官を務めた伊東延吉(1891~1944)らが巣立った。
当時の教科書などは、小鈴谷小の教室を改造した「鈴渓資料室」で保管されている。この中には、国際法の翻訳解説書「万国公法」や世界地理の書籍「与地誌略」など貴重な資料もある。立てて並べると重力で下の部分が傷みやすいため、平積みの形で書棚に並べている。
採点済みの英作文の答案用紙や唱歌の楽譜、10進法で時刻を表示する珍しい懐中時計などからも、当時の教育内容の高さと視野の広さをうかがい知ることができる。
同室はカーテンで光を遮り、紙の日焼けを防ぐなどしているが、冷暖房がなく、夏場は高熱になる。山田芳樹校長は「先人の学問に対する情熱を知ることが、子どもたちの刺激になると考え、資料を将来にわたって残したいが、このままでは劣化が避けられない」と、保存方法の限界に頭を悩ませてきた。
同市文化財保護審議会委員の永田文夫さん(73)は、「以前は資料の燻蒸をしてくれる場所が別にあったが、今はその協力関係も途切れた。将来的には、小鈴谷の地に資料館を造り、後世に残していくべきだ」と訴える。
鈴渓資料室は、事前に小鈴谷小(0569・37・0021)に連絡すれば、見学できる。

~教科書500冊・英作文の答案・唱歌の楽譜~

明治時代、知多半島の漁村(常滑市小鈴谷(こすがや)に、トヨタ自動車の「中興の祖」や戦艦大和の艦長ら、優れた人材を多数育てた学校「鈴渓(れいけい)義塾」があった。当時の教科書約500冊が、同市大谷の市立小鈴谷小学校に残されているが、冷暖房設備に充てる予算もなく、郷土史の専門家から保存方法の改善を求める声が出ている。
鈴渓義塾は1888(明治21)年、旧小鈴谷村で代々続いた造り酒屋、盛田家の11代目当主久左エ門(きゅうざえもん)が開いた私塾。4年後に公立の鈴渓高等小学校となったが、地元では引き続き「鈴渓義塾」と呼ばれた。
現在の小学5年から中学2年の生徒を対象に、英語や数学、簿記などの教科を教えた。授業のレベルは現在の高校並み。体操の授業で野球をするなど、進取に富んだ教育内容を採り入れていた。
革新的な醸造業を営んでいた久左エ門は当時、慶応義塾の創設者福沢諭吉とも親交があった。鈴渓義塾の塾長には、師範学校で理科などを学んだ溝口幹(1852~1933)を招いた。身分に関係なく、貧しい子には学費を援助し、寄宿させたことから評判が高まり、知多半島全体から生徒が集まった。
後の鈴渓高等小時代を含めると、「標準語の父」と呼ばれた元駒沢大教授の石黒魯平(1885~1956)、戦後にトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の社長になって同社を再建した石田退三(1888~1979)、戦艦大和の4代目艦長を務めた海軍将校の森下信衛(1895~1960)、旧文部省(現・文部科学省)事務次官を務めた伊東延吉(1891~1944)らが巣立った。
当時の教科書などは、小鈴谷小の教室を改造した「鈴渓資料室」で保管されている。この中には、国際法の翻訳解説書「万国公法」や世界地理の書籍「与地誌略」など貴重な資料もある。立てて並べると重力で下の部分が傷みやすいため、平積みの形で書棚に並べている。
採点済みの英作文の答案用紙や唱歌の楽譜、10進法で時刻を表示する珍しい懐中時計などからも、当時の教育内容の高さと視野の広さをうかがい知ることができる。
同室はカーテンで光を遮り、紙の日焼けを防ぐなどしているが、冷暖房がなく、夏場は高熱になる。山田芳樹校長は「先人の学問に対する情熱を知ることが、子どもたちの刺激になると考え、資料を将来にわたって残したいが、このままでは劣化が避けられない」と、保存方法の限界に頭を悩ませてきた。
同市文化財保護審議会委員の永田文夫さん(73)は、「以前は資料の燻蒸をしてくれる場所が別にあったが、今はその協力関係も途切れた。将来的には、小鈴谷の地に資料館を造り、後世に残していくべきだ」と訴える。
鈴渓資料室は、事前に小鈴谷小(0569・37・0021)に連絡すれば、見学できる。

「やきもの」は食べ物? やきもの散歩道案内標識、表現に不備
テーマ:常滑市情報
2010/03/05 11:57

常滑市のやきもの散歩道に掲げられている英語、韓国語、中国語、台湾語の案内標識がどこまで理解されているかを外国人モニターの目で確かめる調査が3日、同市内で行われ、表現の不備が相次いで指摘された。日本を訪れる外国人は2008年の調査で韓国、中国、台湾が6割を占めており、標識の多言語化を進める国土交通省が実施した。
同市を訪れたのは外国人女性4人と中部運輸局職員ら10人。名鉄常滑駅前にある案内図や、やきもの散歩道にある標識の約20か所を歩いて確認した。
駅前の案内図では、ハングル表記された「やきもの散歩道」について、韓国人留学生が「(陶器の)やきものであるはずが、食べ物の『焼き物』になっている」と指摘。滞日20年のスウェーデン人女性も「Aコース、Bコースとあるが、英語はコースA、Bの方が自然」とアドバイスした。
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